墓標はなにも語らない。
言葉がいらないことが、美しさと正しさを物語っている。
羊飼いのラッパを聴いてごらん。
それは、みんなの命をつないでいる。
だから、迷っている命が集まってくる。
愛情とか欲望なんて、土の中へは持ち込めない。
悲しみだっていらない。
静かにじっとしているのに、そんなものは余分なんだ。
そうでしょう?
2015年11月25年に中央公論新社から発行。
作中の各章冒頭の引用はすべて
谷崎潤一郎「細雪」からです。"ささめゆき"と読みます。
谷崎氏の没後50年記念作品として森先生がご執筆されました。
先生には珍しい幻想小説なので読むのがとても楽しみでした。
それにしても、先生が谷崎氏の小説を最も読んでいたなんて驚き、、!
ある貴婦人についてリリカルに語られる内容でした。
自分の身近な男性が次々に命を落とし、次第に彼女は精神を病みます。
現実と夢。光と影。生と死。森先生のお得意のテーマですね。
とても静かで美しく、叙情的で、透明感のあるストーリです。
森先生の書く”静かな世界”を楽しめる作品は「少し変わった子あります」や「The Void Shaper」などありますが、「イデアの影」はまさに真骨頂です、、!
白のカバーは透明感のある作品を象徴しているよう。薔薇、メリーゴーラウンド、梟、窓が描かれています。全て物語に欠かせないものです。
- Review -
この女性は父によく叩かれて育ったそうで、、彼女の病気の発端はハセガワさんの死よりもむしろ過去にあると思いました。病気になる素質があった。。ハセガワさんに婚約者がいたことと、彼が婚約解消を理由に自殺したことで、彼女の「影」が頻繁に現れるようになりました。
それにしても次々に男性が身近に現れますが、計ったように彼女が弱っているタイミングで出てきますね。彼女は隙があり、世間知らず。だけど森先生の作ったキャラクタなので、理知的で上品で物静か。そして言葉遣いがきれい。これ重要。
想いを寄せた家庭教師ハセガワさんの自殺、タカヤナギ先生から自分を守ってくれたススム少年の自殺、ススムの防衛によって死んだタカヤナギの死、そして夫の病死。現実では彼らは死んでしまったけれど、夢の中ではみんなに会えます。いつもと同じ話でも彼女はそれが楽しかったのです。台詞が決まっている舞台は落ち着く。安定していて不安にならないという意味です。もう、どこまでが夢で、どこからが現実なのか。彼女自身、どんどん分からなくなって行きます。現実なんていらないと思い始めます。
ハモニカの音を聞くようになった頃にはすっかり夢にとりつかれてしまっている様子、、
何が起こったのかという現実よりも、彼女が何を見たのかという夢の方がずっと多くなります。療養所の裏道を歩き、ふらふらと墓石のある草原に何度も訪れます。
そこまで歩いて行く、という行為は現実であるけれど、彼女が見ている(と感じている)ものは幻覚です。あるいは、墓石には最初の頃行っただけで、その後の描写は全て夢ということもありえます。いずれにしても、ハモニカの少年に関することは全て夢ですが、彼女は現実と認識しています。夢と現実の区別がつかない状態になってしまいました。
夫の死からしばらくは抜け殻状態になりますが、再び屋敷を出て療養所に入ります。ハモニカの少年と空を飛ぶようになってから、彼女は宇宙の暗闇の美しさに胸を躍らせます。そこでの孤独がこの上なく愉快で、愛情や恐怖という営みがいかに小さいことか気付きました。鏡に映る自分の痣だらけの顔や、壁に映る自分の陰すら、愛しいと感じるまで心が変化していきます。そのようなことに気付ける綺麗な命を貸してくれた神に感謝し、そろそろ、その命も返す頃だと感じるのです。
P223.『神様から命をお借りして、この死というものを体験させてもらう。そんなツアーを、人生と呼ぶのだ。そう考えると、自分の身近で続いた死にも、驚いたり悲しんだりすることはない。それどころか、神様への感謝の気持ちを忘れないようにしなければならないだろう。』
人の命は神様から借りているものだという。死ぬときにそれを返却する。生きている時に少しずつ返却するというのをランプのオイルで比喩する森博嗣の表現がとても好きでした。
P143.『命というのは、あるかないかだけのものではない。ランプのように、明るく燈っているときもあれば、か弱く消えそうなときもあるだろう。ランプのオイルが人の寿命だとするなら、死に向かって減り続けるかわりに、炎や煙になって天に昇っていくのではないか。燃えることで、少しずつ命を削っているのだけれど、それは高く昇るための変換ともいえる。』
- Ouotation -
P143.
「優しく痩せ衰えて、綺麗に死のうとした人たちだよ」少年は答え、淡々とした朗読するような口調で続けるのだった。「命というものを嫌ったわけではなくて、ただ、少しずつ、丁寧に、神様にお返しすることにしたんだ。」
P144.
彼女には分からない。誰も教えてくれそうにない。もし神様がいるのなら、いつか教えてほしい。神様は、言葉でお答えになるのだろうか?
P194.
あのディーゼルカーに並んで座り、窓の外を眺めているときは幸せだった。幸せというのは、躰を寄せて、同じものを見ることなのだと思った。
P200.
胸に空いた穴、その虚空を感じる。ここにあったものが、今はない。それは何だったのだろうか?失ったものは、何か。最初はそんなことは考えたくなかった。近づきたくなかった。触れたくなかった。でも時間が経つほど、考えられるようになった。そして、失ったものの正体が分かったのだ。それは、亡くなった人たちではなくて、亡くなった人たちの未来だった。そして、その未来とは、その人たちが自分に見せてくれるはずだったもの。それが見られなくなった。もう見ることは叶わない。それなのに、まだ、彼女の心は待っている。その未来を見るために、心にスペースを準備していたのだ。それが穴の正体だ。
P203.
「もともと、できるとか、できないとか、そんな感覚が、ただそう考えているだけのことで、考えなければ、そもそもなにもない。したがって、生きていても、死んでいても、本当のところ、違いはなにもないんだよ」
「それは、なんだか、少し寂しいことですね」
「寂しいと感じるのは、お前がまだ生きているからだ」
P204.
いつだって、影は彼女と一緒だった。楽しいときも辛いときも、喜びに溢れる一瞬も悲しみに沈む長い夜も。みんないなくなってしまったけれど、彼女はまだ生きている。自分はここにる。命をまだ全て返しきれていない。神様、もう少し待って下さい。もう少しですよね?
神様から命をお借りして、この死というものを体験させてもらう。
そんなツアーを、人生と呼ぶのだ。
なんて素敵な言葉なんでしょうね・・
森博嗣の名言が、またひとつ増えました。
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